となりの読書会。

となりの読書会。

読書会っておもしろい♪ 大阪府豊中市で開催しているママ向け、子ども向け読書会の記録と 、子どもとの遊びネタ、手作りおもちゃ、おもしろい本の話などを書いてます。 お子さんを喜ばせたいママ、 読書が好きな人、ぜひのぞいていってくださいね。

母性なし育児でも、いいじゃない

母性がないと感じる人へ

「私には、母性がない」

そう感じることが多い。

 

他所の子含めで遊ぶときには

はりきる性分だが

自分の子どもに対しては、

とってもドライだ。

 

濃厚なスキンシップは苦手だし、

かいがいしく子どものお世話を

することもできないし、

自分一人の時間を猛烈に欲している。

 

「小さい子どもがいる間は

自分のやりたいことは我慢」

そんな生き方はまっぴらごめんだ。

 

みんな母性的ですごいなぁ。

私の母性はどこにあるんかしら。

 

こんなに母性のない母親は

母親失格だろうか。

 

そんな風に、落ち込んだこともある。

 

この記事は、

私と同じように、

「母性がない」と感じる人、

「母性的じゃない自分は

母親失格なんじゃないか」

と、悩んだことのある人に届けたい。 

 

母性ってないとダメなの?

周りのママたちは

愚痴とかしんどい時間はあれど

子どもといると、とっても幸せそうだ。

 

子どもがかわいくないわけじゃない。

「かわいいなぁ」と思うけど、

「目に入れてもいたくない!」

みたいな可愛がり方じゃない。

なんというかもっと、一歩引いた目線で

「かわいいなぁ」

と思う。

 

私は、子どもと離れて

一人になれる時間がほんまにほしい。

たくさんほしい。

私自身がやりたいことが

いっぱいある。

 

「小さい子どもがいる間は自分のことは我慢。

それが母親ってもんでしょ。

母親の自覚を持ちなさい」

「母性は育ちます。大丈夫です」

ネットでそういう言葉を見ると

ちょっと寒気がする。

 

少数派であろう

母性のないママたちは

身近に似たようなママがいない。

 

ネットで検索すれば、

批判や、おかしいという言葉を浴び、

「母性は育つから大丈夫だ」

と、なんの根拠もない

とても自分に当てはまる気がしない

アドバイスを受けることになる。

 

そうして、

 

「母性がないってダメなの?

私って母親失格だろうか。」

 

と、時折落ち込んでしまうのだ。

 

落ち込むだけで済めばまだいいが

そういった意見が、ある時には

母性のない母親たちを

追い詰めることすらある。

 

私は、8年間お母さんやってきて

母性らしい母性なんて、

なーんも育たなかった。

 

母性という言葉につきまとうイメージの

・自己犠牲

・子どもが一番。自分のことは後回し

 ・子どもといることが、何よりの幸せ

という、そういう感じが

どうにも受け入れがたい。 

他にも、いろんな面で

私は自分に母性がないと感じるのです。

 

母性がなくたっていいじゃない

この記事を書いたのは

ただただ、

同じように悩んだママたちに

これが言いたかった。

 

「母性がなくたっていいじゃない」

 

とりあえず、ネット上での

批判とかは、ほっておこう。

合わないと思ったら、参考にしなくていいし

自分を責めたり、落ち込むことはない。

文字って言いたいことの

7%しか伝わらないから、

ネットだと一部だけを誇張されて、

変に解釈されて批判されたりすることもある。

 

もし、母性的でないことが心配で

質問したり、悩みを相談したいときは

ネット上じゃなくて

友達とか、育児の悩み相談担当の人に

電話か対面で話せば

きっと受け止めてくれる。
 

 

でも、母性ってないなら、

なくてもいいんじゃない?

 

できないことは、人それぞれ違う。

それが当たり前で、

それでもいいはずだ。

 

なのに、ひとたび、母性の話となれば

母性あるべき論、これからでも持つべき論が

横行しすぎている気がする。

 

「母性的な母親になりたい」と

本心から願っているのであれば

努力してみる甲斐もあるかもしれない。

 

だけど、

「母性的な母親になりたい」

という言葉の裏に

「母性的でなければ母親失格だ」

「母性的でないと子どもがかわいそう」

と、自分の本心からの願いでなく

「こうあるべきだ」

「みんなと同じようになりたいのにできない」 

という自己批判からくる願いの場合は

一度立ち止まってほしい。

 

いろんな人がいるんだよ。

みんながみんな同じわけじゃない。

 

母性がない人はいる。

 

別にいてもいい。

 

それだけのことだ。

 

誰かから批判されることでもなければ

自己否定しなきゃいけないことでもない。

 

母性がなくても育児はできる。

母性的でなくても

他の自分に合ったやり方で

やればいいだけの話なんだ。

 

私は普段あまり子どもと

遊ぶことはないけれど、

たまに、私がやりたいこと

(読書会の準備で絵を書いたり、

ウクレレ弾いたり、工作したり)

を本気でやっていると、なんとなく

「私もやる」

と、子どもも同じことをすることになり

一緒に遊んでる風になる時もある。

 

スキンシップが少ないことで

拒否されてると思われると悲しいので

子どもがくっついてきたときには、

軽いハグくらいで、離れて

「大好きだよ」と

投げキッスを飛ばしたりしている。

スキンシップでイマイチ伝えられない部分は

言葉で補うようにしている。

 

母性なし育児

他のママたちは、

子どもとの距離感がとっても近い。

「私がなんとかしてやらなきゃ。

守ってあげなきゃ」

というような子どもへの使命感や

愛情を感じる。

子どもが幼稚園に入っても

靴や服の着脱を手伝ってあげたり

かいがいしくお世話をしてあげている。

  

私はそこのところがもっとドライだ。

子どもとの境界線がはっきりあって

子どもとの距離感がもう少し遠い。

 

母性を感じられないお母さんの

母性がないと感じるところは

この距離感の遠さに

あるんじゃないだろうかと思う。

 

私は私で、

子どもは子ども。

 

それぞれ

別の生き物だという感覚が

母性ある母親よりも、

強いんじゃないだろうか。

 

私はこんな風に思っている。

 

私の人生は私のもの。

子どもがいようがいまいが

やりたいことはなんでもやらせてもらう。

お母さんのこの性格のせいで

多少子どもに負担を

かけることもあるかもしれないが

すまん。そこは理解してくれ。

これがあなたのおかんです。

いいと思ったところは

真似してくれたらうれしいし

ダメだと思うところは

反面教師にしてください。

 

子どもの人生は、子どものもの。

どうぞやりたいことをやってください。

自分のことは自分で決めてください。

お母さんが決めることじゃない。

できるようになったことには、

母は手を出さない。

めんどくさくてやってやれないのと、

自立して欲しくてやらないのとその両方。

 

でも、子どもたちが自分のこと

どんどんできるようになっていく姿をみて

すごいなぁと思っている。

 

いつも、目線は一歩引いている。

 

こんな私が「子育てしている」というのは

とてもおこがましい気がしてしまう。

子どもたちは育てられたんじゃなくて

周りからの影響を受けたり

自分で行動や選択をかさねながら

「自分の力で育っていってる」

と、感じる。

自分で育っていく子どもたちを尊敬している。

かっこいいなぁと思う。

 

子どものために自分が犠牲になるような生き方

私は絶対にしたくない。

「犠牲になる」っていうのは

「子どものせい」という言葉と近い。

自分が勝手に我慢したことを

こどものせいになんてしたくない。

 

子どもがいることでたくさんの制限はかかるが

諦めずに、やり方を工夫すれば

小さい子どもがいても、

お母さんは自分の時間を持てる。

母親である前に、一人の人間として

自分がやりたいことをやっていく生き方は

とても自然なことなんじゃないかと思う。

 

私は私の生き方を大切に。

子どもは子ども自身の生き方を大切に。

 

それぞれが、やりたいことを

やっていくことを、

育ち合っていくことを、

尊重し合う家族でありたい。

 

8年かけても私の思う

母性は見つからなかった。

 

家ではいつもだらしないし

他所でニコニコするくせに

我が子の前では、笑顔も少ないし、

普段の関わりは、ほんとに少ないと思う。

 

けど、もういい。

 

ないものはない。

できないものはできない。

 

母性なくてもいいじゃない。

いろんな人や環境にもまれて、

子どもは育つ。

 

母性ある母親は、

種に水をやり、肥料や日光を与え

すくすく育つ姿、

いつか花開くのを楽しみに

子育てを楽しんでいるイメージ。

 

私の子育ては

ただ、大木を眺めているようなイメージ。

嵐にもまれて、枝が折れても、

冬になって、葉を全部落としても、

それでも、自分の力で伸びて葉をつけていく

大木をただ下から眺めて

「あっぱれ」

と思うようなそんなかんじ(笑)

 

 

母親と子どもの距離感はちょっとあるけど

少し離れたところで、育ち合っていく。

 

私は、そうやって生きていくことに決めた。

 

母性なんてもういらない。

 

子どもが元気に育っているなら

それで充分だ。

 

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